人間関係について思うこと。~イギリス人との会話を通じて~ 7月15日inキルギス
- 2019.07.31
- 第3章(中央アジア)
リアルタイムは海老名図書館におります!
どうも。安井です。再出発まで1週間を切りました。そろそろパッキング始めないとな〜と思っている今日この頃です。何においても「なんとかなるっしょ!」と思ってしまうこの性格をなんとかしないとそろそろなんとかならなくなってくると思うのでなんとかしたいです。
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起床。
今日はキルギスを旅たつ。ずっと一緒に過ごしてきた仲間ともお別れだ。
朝はきよさんたちと一緒にショッピングセンターに行った。三脚の雲台を無くしてしまったのでそれを手に入れようと。
何店舗もまわりお店の人に相談するも雲台のみでは売ってないと言われる。
どうやったらこれだけをなくすことが出来るのか教えて欲しい。僕は並みの一般人よりも物をなくすことに長けていると自負している。
雲台は見つからなかったためオシュバザールに行きTシャツを探すことにした。宿であったフランス人が大きん文字でKyrgyzstanと書いてあるTシャツを持っていたので欲しくなってしまったのだ。
40度近くを容易に叩き出してくる真夏日の中、Tシャツはなかなか見つからなかった。
途中でマンティ屋さんが立ち並ぶ通りに。マンティ大好き。僕の血が騒ぐ。
ちなみにマンティはこんなやつね。脳裏に刻み込んで離さないようにね。
路上で売られているマンティはとても安く、一つ10ソム(15円)で買えた。僕が無作為に選んだ店でマンティを購入したのを見て周りのマンティ屋さんが我先にと話かけてきた。
みんなの活気の良さとマンティの美味しさに翻弄され、隣の店でもマンティを購入。
挙げ句の果てにはマンティ屋に写真を撮ろうと言われ、一緒に写真を撮った。
近くにいるマンティ売り達が撮った写真を見せてくれと寄ってくる。そしてなぜか僕は彼らに「ミスターマンティー」と呼ばれることになった。
マンティー毎日売ってんのお前らだろ。
お前らの方がミスターマンティーだろ。
血で血を洗うマンティ対決を終えて僕らは宿に戻ることに。
そのあとはビシュケクにあると言われている遊園地に行った。
海外の遊園地に行くと日本の遊園地がどれほどすごいかということを感じる。特に細部へのこだわりがすごい。神は細部に宿ると言われているが日本の遊園地は神にとって居心地が良すぎるだろう。神宿りまくりだ。
案の定キルギスの遊園地は店員も私服。そこらへんの兄ちゃんがアトラクションを運営している。
入り口付近からホラーすぎる。状況が読めない。せめて両手で抱えてあげて。だが少女もまんざらでもない顔をしている。
漫画で出てくるタイプのコンビ。大体小さい方がお兄ちゃんで強い。弟は力技だけどお兄ちゃんに従順。
観覧車もあった。乗る部分はなぜかかなり先駆的。この寂れた遊園地に突如現れる綺麗な観覧車。周囲のアトラクションから顰蹙を買うこと間違いなしだ。
他にもメリーゴーランドもある。
きよさん、射的中。
撃つ球が小さすぎて僕にはどこに飛んだのか分からなかった。打っているきよさんですらわからなかったらしい。本当に撃ったのだろうか。裸の王様現象だ。
他にも12Dも。なんなら12Dがこの遊園地のアトラクションの3分の1を占めているとしても過言ではない。
まず12ってなんだ。5くらいまでじゃないのか。とりあえず数字上げとけばいいと思ってるだろ。アイフォンかよ。
遊園地っぽいじゃがいもまきまきを買った(すこし食べちゃってごめんね。)
遊園地といえばゲームマシーンもある。
よく見ると景品に現金がある。夢なさすぎるだろ。
だんだんと日が落ちてくる。遊園地のネオンの光にノスタルジックな気持ちになる。
遊園地を一通り楽しみ僕らは帰路に立った。
そして昨日と同じ中華屋へ。すっかり虜だ。
中華料理を食べ終えたあとはお世話になったみんなに別れを告げタクシーに乗り込んだ。ウズベキスタンに向かうためキルギスのバスステーションに向かう。
バスステーションにつくと目に留まるゲーム機が。
遊園地にあったマシーンの比ではない。景品は現金のみ。露骨すぎる。
23時半発のバスを待っていると1人のイギリス人が話しかけてきた。
正直最近は自分の英語力の向上を凄まじく感じている。
昔はネイティブの人と一緒にいる空間が苦痛で仕方ない時もあった。「私は英語が苦手です。」という例文を覚え、その場をノリとテンションでやり過ごそうとしている時もあった。
今では何時間一緒にいてもなんの話をしていても苦痛に感じない。むしろ日本人との感覚の違いを実感することが出来て非常に面白い。
外国人と一緒にいる時。昔はこちらから「写真を撮ろう」とか「連絡先を交換しよう」と言っていた。正直、鬱陶しがられていたかもしれない。最近は向こうから言われることが増えてきた。
英語がほとんど分からなかったころの自分に言ってやりたい。何が異文化交流だ。
単純に海外にいること、外国人と一緒にいる自分に酔っていただけではないか。
ノリとテンションを合わせて相手をわかった気になるだけ。ろくな努力もせずに。情けない。
もちろんノリとテンションでやり過ごす力はとても大切である。しかし、それにかまけて努力を怠ることはもっての他である。
ここからウズベキスタンまではこのイギリス人と一緒に向かうことに。人と話すことが好きらしく旅の話も含めて色々と話をした。
基本的に英語が通じない中央アジアの国々において、英語が通じる空間というのはもちろん居心地がよく感じる。が。それが毎回というわけではない。
その男性は周囲のキルギス人を露骨にバカにしていた。
「お前は英語が話せるから仲間だ。」
「こいつらは英語が話せないくせに。」
「ろくな教育も受けていないのに触るな。」
その他にもブラックピーポーがとか。この世界の発明は白人によってとか。泣いている赤ちゃんに対してファッキンモンキーが!とか。
正直ここまで人種の壁を感じたのは初めてだった。
何が違うんだろう。あなたと私の違いはなんだろう。あなたと私と彼らの違いはなんだろう。
自分が周りよりも頭がいいと思うのであれば。その頭の良さを活かして社会をよりよいものにしていく方法を考えようよ。
少なくとも自分が他よりも優れた環境に生まれたと思うのであれば。おごり高ぶるのではなく感謝して、少しでも世界に還元することを考えようよ。
文字に起こすと残酷な響きに聞こえてしまうが個人的には必ずしも平等が世界の最大幸福に繋がるとは考えていない。なのでこの気持ちがかわいそうとかそういうところからきているのかどうかは正直わからない。多分違う気がする。
どちらにせよ、どんな状況にせよ。人のことを見下したりとか。蔑んだりとか。それは絶対に違うと思う。
将来、自分はそういう人間にだけはなりたくないなあ。
僕も自己肯定感は強い方だと思う。自分でも環境に恵まれていると思う。謙虚になりすぎることなく、それをプラス方向に転換し自分だからこそできることは何なのかを考えたいと思う。誰かに価値を届けたいと思う。そのどこかで芽生えた自信を傍若無人にふるいかざして他の人を傷つけるようなことはしたくない。
まあこれが難しいということは百も承知だし僕が無神経なために他の人にそういう思いをさせてしまっていることも往往にしてあるのだけれども。
この人とどんな話しようかな〜。これも考え方の違いなわけだしな〜。こういう状況になるとやはり人間関係は難しいなと思う。
自分の性格や思考と100%と合致する人などいない。一緒にいて全く不満がない人など存在しない。と僕は思う。
小さな不満やずれが人間関係の中で蓄積されていくことでひずみが生まれてくる。これは2人よりも3人。3人よりも4人と。人数が増えるごとに難しくなると思う。
そこに面倒くささを感じてしまうと1人の時間を好むようになる。
事実、僕も1人で旅をしている時の方が楽だなと思う時がある。
でも変わらないのだ。どこまで逃げても。どれだけ自分が人間関係を選んでも。
居心地が悪いと感じることはあるし。人種を差別する人だっている。
それなら自分の心のキャパシティを広げていくしかない。この人とは合わないという人とあえて仲良くする。「こういう人」もいると。そうすると自分の仲の「そういう人」が広がって。心に余裕が生まれてくる。どんな人間関係もあまり苦ではなくなる。「そういう人」に対する自分の中の沸点が下がる。
付き合い方がわかってくればそれが楽しいとすら感じられるタイミングがある。その人の良さを感じることもできるようになってくる。「そういう人」なんていう、「こういう人」なんていう。温もりが微塵も感じられない言葉で表される概念が自分の心の中で形成されることなどなくなる。
と信じている。
だからこそ、全く興味のない人ともタイプが違う人とも積極的に話したいし、日本と違った地で異なる価値観に触れ自分の心のキャパシティを広げたい。
逃げ出した人間関係よりも、より豊かな人生になるのではないかなと淡い期待を抱いて。あくまで完全なる自論だけども。
それでも長期的に一緒にいたいと思える人は。この人と自分は相性がばっちりだ!というよりもこの人のためなら自分を我慢しても良いなって思える人なのではないかな。その直感が憧れから来るものであれ尊敬から来るものであれ。
そういう意味では様々なバックグラウンドの人と出会える世界一周は最高のフィールドだと思っているし、この旅で一生続く友情をいくつも見つけたいと思う。
結果ポジティブになるという安井の楽観的すぎる思考。笑
そのまま夜行バスで就寝。
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