価値観の変化。宗教がないということ。7月19日inウズベキスタン
- 2019.08.08
- 第3章(中央アジア)
- ウズベキスタン, サマルカンド
リアルタイムはイスタンブールにおります!
どうも。安井です。あと2時間後にはカッパドキア行きのバスが出発する今日この頃です。トルコ人はゴリゴリにツアー参加を促してきます。
おれは日本人をどうしても助けたいんだ!おれは日本が大好きなんだ!
圧倒的なパトス。
怪しいと思ってるだろ?政府直属のツアー会社だから大丈夫だ。おれを信じてくれ。
少し疑わしいエトス。
ネットなんて使っていてはだめだ。やっぱり人間はフェイストゥフェイス!お前もそう思うだろ?
壊滅的なロゴス。
結局バスチケット購入したけど。一番有名なバス会社、メトロのチケットだと言われてたのに。バス停着いたら意味わからん聞いたこともないバス会社だった。なんなん。
いつも安井の何が言いたいのかもよくわからないブログにお付き合いくださり誠にありがとうございます。毎日、毎日厚かましいということは百も承知ですが本日も下の画像のクリックをお願いします。
起床。
16時発、タシュケント行きの列車に乗る。起きてからここまではワイファイもないカフェで時間を潰していたので。特に書くこともない。
列車に乗り込むと隣のお兄さんに話しかけられる。
きみはどっから来たの?
日本から来ました!
おお!日本はいいところだよね。僕はエンジニアをしていて今は日立の日本人の人たちと一緒に石油を貯蓄するタンクを作っているんだ。
ウズベキスタン人でここまで流暢な英語を話す人もなかなかいない。話を聞くとウズベキスタンの中でも有名な大学を出ているとのこと。現在はお子さん2人と一緒に暮らしているらしい。
名前はなんていうの?
駿太朗です!
それはどういう由来なの?
色々な要素が合わさりこの名前が誕生したので、端的になんと説明したら良いかわからなかった。とりあえずは優しいという意味ですと言っておいた。
駿太朗にとって優しいってどういうこと?
なかなか難しい。倫理的な質問に苦戦を強いられる。たしかに優しいってなんだ。
「優しい」は人によって捉え方が違うよね。でも僕らにとっては同じなんだ。全部コーランに書いてある。何が優しいか優しくないかは僕らが判断することではない。
なるほど。この人はムスリムなんだ。海外で宗教の話をすることはタブーとされているため個人的にはとても興味深かった。
駿太朗はなぜ日本に地震や津波が起こるか知ってる?それは君たちが祈らないからだ。君たちの国には宗教がないよね。
確かに僕はこれまでの生活で特に宗教を意識したことはなかった。これを聞いて正直かなり驚いた。この人の職業はエンジニア。ウズベキスタンの中でも有数の大学を卒業しているわけだ。
この世の現象がどれだけ科学で証明されようがこの人の中では地震はプレートのずれで起きるものではないのだ。ウズベキスタンが内陸国だから津波が来ないわけではないのだ。
しかしそう言われてみるとこちらも考えを改め直す必要があるなと。地震はプレートがずれて起きているのか。祈っていないから起きているのか。僕らには判断できないから。
宗教が個人の価値観にここまで大きな影響を及ぼしているとは正直思っていなかった。
どれだけ科学を学び、自分の中に物事の判断基準を蓄積していったとしても根底の考えは変わらないのだ。
外国人が自分の意見や発言に確固たる自信を持っていること。日本人が世界からは消極的だと捉えられていること。もしかしたら思考の根底がどこに依拠しているのかという違いもあるのかなと思った。
イスラム教は困っている人がいれば手を差し伸べる宗教。どう接したら良いかは全てコーランに書いてある。暴力的なイメージを抱かれがちだが、本当のムスリムをあの連中と同じにしないで欲しいと言っていた。強引な勧誘もない。
もし駿太朗が本当に「優しい」人になりたいと願うのであれば来世はイスラム教を信仰する人として生まれたらいいね!
根本的には性善説(最近街でだまされまくっているので人間不信になりそうだが。)で生きている僕。来世じゃなかったとしても自分の判断基準にのっとって人様に迷惑をかけることのないよう生きようとは思う。
こういう話も僕が無宗教だからこそ出来たのだろう。学生という身分であることも含め「何にも属さない」ということが、時に大きな価値を発揮することを海外に出てから痛感している。ふわふわしていると言われてしまえばそれまでなんだけれども。
自分の中で確固たる意思を持つことが個人としての強さを生み出すことにつながるのだなと感じたおっちゃんとのひと時だった。
そのあともおっちゃんといろんな話をした。ウズベキスタンの自然についてやお互いの家族について、これからの将来についてなど。あっという間の3時間だった。
おっちゃんは僕にお気に入りのレストランを紹介してくれた。電車が駅に着いた後、そのレストランまで僕をタクシーで連れて行ってくれた。家に帰らなければいけないらしくおっちゃんとは店の前でお別れ。宿のチェックインが心配だったがおっちゃんが宿に電話して状況を説明してくれた。
なにから何までありがとう、おっちゃん。
レストランの名前はLaPiola。一見高そうに見えるがコスパ最強の店だった。
内装もめちゃくちゃおしゃれ。薄汚い僕の服装は場違いだったかもしれない。
なんとこんなに大きなステーキで400円。もう意味がわからない。ありがとうおっちゃん。
食事を摂り終えた僕は宿へ向かう。到着は24:00。
次の日は朝から空港に向かう。韓国経由の飛行機に乗り羽田空港へ。
ウズベキスタンから韓国までのフライトで同じ年のウズベキスタン人と席がとなりになった。話を聞いてみると韓国に留学しているとのこと。彼はなんと5カ国語を話せるらしい。
彼女は日本に留学しているとのことで、日本に対してもとてもいい印象を持ってくれていた。
お互いが留学しているため彼女と会えるのは半年に1回のみ。それを四年間だ。彼女も自分もお互いやりたいことをやっているので今の関係がちょうどいいと言っていた。猛者か、こいつは。
ムスリムの人は大人になると親族と一緒に暮らさなければいけないと聞いていたので彼の将来について質問してみた。
彼にはウズベキスタンの大学通っている弟がいてその弟が家族と一緒に暮らすから大丈夫とのこと。子供のうち誰かが親と一緒に暮らしていればいいらしい。万が一、弟が海外で働きたかったら自分がウズベキスタンに戻ると言っていた。
彼女が日本で暮らしたいと言ったらどうするの?と聞くと、僕の条件を満たせる会社があればどこの国でもいいよ!とのこと。これがグローバルということか。おれも頑張らないとな。
彼とは韓国でお別れ。僕は仁川空港からもう1つのなんちゃら空港へ30分ほどかけて移動した。空港に入れなかったためマックで朝を迎える。結構しんどかった。お昼には羽田生きの飛行機に乗り込む。
久々の日本。
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